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zoom RSS アレクサンドロス大王

<<   作成日時 : 2017/06/01 12:17   >>

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アレクサンドロスはマケドニア王(在位前336〜前323)で、ギリシア、エジプト、アジアにまたがる大帝国の建設者です。英語名はアレクサンダーてす。
マケドニア王フィリポス2世(在位前359〜前336)の子で、13歳から3年間アリストテレスの教えを受け、ギリシア文化に尊敬の念を抱きました。その後、母を退けた父王と不和になりました。父王がギリシアを統一した直後、前336年に暗殺されたため、アレクサンドロスはこの年に20歳で即位しました。


 アレクサンドロス大王   アリストテレスとマケドニアの地図

ギリシアの反乱を鎮圧した後、前334年にギリシア・マケドニアの連合軍3万5000の兵力を率いて、東方への遠征に出発、小アジアでのグラニコス河畔の戦い、イッソスの戦い(前333)(2013年4月5日のブログ・イッソスの戦い参照)に勝ち、ギリシア諸都市を解放しました。アルベラの戦い(前331)でダレイオス3世のペルシア軍を決定的に撃破し、ペルセポリス(2013年4月4日のブログ・ペルセポリス参照)を炎上させました。前330年アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼして遠征の目的を果たしました。なおも東進を続けソグディアナを征服、前327年にインド西北部にまで達しましたが、部下の反対でさらなるアラビアへの進軍を断念し、スサに帰還しました。ここでソグディアナの王女ロクサーネ、ダレイオス3世の王女スタチラを妃とし、将兵1万余をイラン女性と集団結婚させ、ペルシア風の拝跪(はいき)の令を採用し、前324年バビロン(2015年11月10日のブログ・バビロンのイシュタル門参照)に凱旋、翌年6月突如熱病にかかって急逝しました。

  イッソスの戦
アレクサンドロスと愛馬プケパラス 

アレクサンドロスはエジプトのアレクサンドリア市(2015年12月7日のブログ・アレクサンドリアの大灯台参照)をはじめ各地にアレクサンドリア市を建設しました。そして多数のギリシア人を入植させたため、ギリシア風の文化・生活様式が西アジアに伝わりました。アレクサンドロスは遠征中次第に専制君主化し、ギリシア諸都市には大王神格化の王令を発布し、ペルシア風の儀礼(拝跪)や習慣を取り入れるなどしたため、東西文化が融合することになりました。その主な担い手は各都市に居住したギリシア人でしたが、ポリスや民族の枠にとらわれず、世界市民主義や個人主義の性格を帯びていた点に特色が見られると言われています。
アレクサンドロスの東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30)までの訳300年間を、ヘレニズム時代と呼んでいます。


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