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zoom RSS アメリカ陸軍中将のジョージ=パットン

<<   作成日時 : 2017/05/07 16:46   >>

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ジョージ=パットンは、二度の大戦で勇名をはせたアメリカ陸軍将軍(中将)です。数々の功績の反面、舌禍事件など不祥事も多いことでも知られています。
合衆国陸軍設立当初から伝統ある軍人(パットン家)一家の息子として、1885年に生まれました。祖父は南北戦争で南軍で戦ったと言うことで、パットンは子どもの頃から英雄願望が強かったと言われています。
ウェストポイント陸軍士官学校経て、ストックホルム・オリンピック(1912)に近代五種の選手として参加しました。その後、陸軍騎兵隊に所属しました。
1917年第一次世界大戦にアメリカが参戦(2014年4月14日のブログ・アメリカの参戦理由参照)すると、戦車部隊指揮官として派遣され、活躍しました。第二次世界大戦でアメリカが1942年に参戦すると、パットンは北アフリカへ派遣されました。当時のアメリカ軍は、規律も緩く、弱兵ぞろいでした。パットンは中将として、猛烈な訓練を施すことで規律を徹底させ、自ら常に最前線に立ちました。北アフリカン戦線で功績を挙げましたが、野戦病院で、神経症になっている部下の無傷の兵士を殴打する事件を起こしたため、パットンは軍の上層部によって部隊を取り上げられてしまいました。
 
   パットン中将           規律を重視

ノルマンディ上陸作戦時に、僚友アイゼンハワー(2014年1月1日のブログ・アイゼンハワー参照)の引きによって、前線指揮官として軍の指揮をとることになりました。ここで彼が指揮下の部隊に対して行った演説は、戦時下における名演説と言われているそうです。その演説は部下が使うような汚い言葉に満ちていますが、軍人の責務を求め、勝利を求め、いかなる部署もすべて重要であり、チームであると述べています。彼は第3軍としてノルマンディーに上陸(2012年6月6日のブログノルマンディー上陸作戦参照)し活躍、多数のドイツ軍兵を捕虜としました。その後もフランス東部で電撃戦を行いましたが、補給が薄く、また上層部の混乱もあって、パットンは進軍を停止しました。
 「パットン戦車」
     1918年()と1944年の戦車

ドイツ軍の攻勢を予期していたパットンは、第3軍の主力を北方に移動させ、バルジの戦いが始まりました。この戦いの後、第3軍はドイツに進出することになりましたが、それまでにドイツ軍が降伏してしまいました。

ドイツ降伏後、連合国の一員であるソ連軍を問題視していた、パットンは再び舌禍事件をおこしたため、、またもや部隊を取り上げられ、閑職につかされてしまいました、1945年12月に交通事故がもとによる負傷でドイツのハイデルベルク(2013年7月8日のブログ・ハイデルブルク参照)で死去しました。満60歳でした。

 国旗と墓


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