アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
teijuの「切手で見る世界の歴史」
ブログ紹介
ホームページ「切手で見る世界の歴史」は通史的に切手を並べて解説をつけましたが、このブログでは、人物や事項を掘り下げて説明しようと思います。取り上げたらいいと思われる人名や事項などがありましたらメールしてください。

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
ローマ条約
ローマ条約 ーマ条約は、1957年3月25日に調印されたヨーロッパ:経済共同体(EEC)を設立する条約です。ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツの6カ国によってローマで調印されました。 EECという単一の共同市場を12年間で完成することを第一の目標とし、そのほか域内における労働や資本の移動の自由、さらに農業、運輸、通商、金融、社会という広範な分野における共通政策の樹立などの経済統合をうたっています。第二次世界大戦後の国際経済に新しい活力を導入しました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/16 11:44
クートの戦い(1915〜16)
クートの戦い(1915〜16) クートの戦いは第一次世界大戦における戦いの一つです。メソポタミア(イラク)のクート(トルコ語ではクート・エル・アマラ)にこもったイギリス軍をオスマン帝国軍が包囲し、イギリス軍救出部隊を阻止して、これを陥落させました。 両軍はともに疲弊していましたが、オスマン帝国軍イラク地域司令官ヌーレッディンは、追撃を続行し、戦略要地を次々と奪取して、チグリス川の架橋を占領しました。1915年12月には、総計14,000〜5,000の兵力をもって、イギリス籠城軍の包囲攻撃を開始しました。イギ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/10 15:58
ダンツィヒ
ダンツィヒ ダンツィヒは、ポーランド北部、ウィスツラ(ウィスラ)川河口のバルト海に臨む港湾都市グダニスク(2014年3月2日のブログ・グダニスク参照)のドイツ語名です。 1309年ドイツ騎士団領となり、ハンザ同盟に加入し、東西ヨーロッパ間の交易で繁栄しました。16世紀と17世紀に商業都市として最盛期を迎えましたが、その後度重なる戦争によって、ダンツィヒの経済は次第に衰え、1793年の第2次ポーランド分割によってプロイセン領となり、住民のドイツ文化への同化政策により、住民の多くはドイツ人とな... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/01 10:24
ヴィエリチカ岩塩坑(ポーランド)
ヴィエリチカ岩塩坑(ポーランド) ポーランドにあるヴィエリチカ岩塩坑は、1044年の創業で、廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古です。また1250年に国営企業となり、世界最古の製塩企業とも言われています。。世界遺産に登録されています。 深さは地下327m、全長は300km以上に及ぶと言われています。特に観光用の3.5kmの坑道には、「最後の晩餐」など歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいます。坑夫たちが信仰のために岩塩を彫り上げたものと言われています。屈曲した部屋や礼拝堂なども岩塩で作られてい... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/10 11:19
旧石器時代の人々の生活
旧石器時代の人々の生活 500万年以上も続いたと言われる長い旧石器時代を通じて、人類は食糧を生産することを知りませんでした。自然にあるものを手に入れて、生きていく狩猟・漁労・採集の獲得経済の生活をしていました。生活には計画性がなく、飢えや寒さに悩まされ、食べ物を求めてさまよい歩いていたと思われます。 しかし、食糧の獲得方法は、ほかの動物には見られない特徴がありました。それは道具(打製石器)を作り、用いることと分業と協業が行われていたことです。狩猟は体力を要するため、男性が担当し、採集は女性の仕事でした... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/07/02 08:31
ローマ時代のソンバトヘイ(ハンガリー最古の都市)
ローマ時代のソンバトヘイ(ハンガリー最古の都市) ソンバトヘイは紀元45年に、第4代ローマ皇帝クラウディウス(在位紀元41〜54)のサヴァリア植民市として建てられました。ローマ帝国のパンノニア州の首都となりました。ハンガリー西部に位置し、ハンガリー最古の都市と言われています。 ソンバトはハンガリー語で土曜日、ヘイは場所を意味しているそうです。毎週土曜日に市場が開かれていたことを示しています。街にはペリントとジェンジェンノの二つの川が流れ、琥珀の道と呼ばれた重要な通商航路の近くに位置していました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/06/25 10:00
ドガの「踊り子(エトワール)」
ドガの「踊り子(エトワール)」 ドガは19世紀のフランスの画家です。パリ美術学校に学び、アングルやルネサンス美術に傾倒しました。印象派とされていますが、油絵やパステル画で「洗濯女」「競馬」「踊り子」など、独自の躍動的な画面を作りました。   ドガの「踊り子(エトワール) バレエの踊り子を描いたものは「ダンス・デッサン」と呼ばれています。特に楽屋や練習風景、舞台袖など一般の人が立ち入り出来ない場所での場面を描いたものが多いそうです... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/06/16 21:31
バレッタ(マルタ共和国の首都)
バレッタ(マルタ共和国の首都) バレッタは、マルタ共和国の首都です。地中海中央に浮かぶマルタ島の東部に位置しています。港を見下ろす丘の上に街があります。16世紀の聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団とも言います)時代以降の多くの建造物が残されています。人口は7,000人弱です。 1565年にオスマン帝国からの防衛に成功した聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)(2013年8月27日のブログ・聖ヨハネ騎士団参照)の総長ヴァレットにちなんで命名されたと言われています。聖ヨハネ騎士団での正式な都市名は「フミリッシマ・チ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/06/10 15:19
アレクサンドロス大王
アレクサンドロス大王 アレクサンドロスはマケドニア王(在位前336〜前323)で、ギリシア、エジプト、アジアにまたがる大帝国の建設者です。英語名はアレクサンダーてす。 マケドニア王フィリポス2世(在位前359〜前336)の子で、13歳から3年間アリストテレスの教えを受け、ギリシア文化に尊敬の念を抱きました。その後、母を退けた父王と不和になりました。父王がギリシアを統一した直後、前336年に暗殺されたため、アレクサンドロスはこの年に20歳で即位しました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/06/01 12:17
三・一運動(万歳運動)
三・一運動(万歳運動) 三・一運動は1919年3〜5月、朝鮮の民衆が日本からの独立を求めておこした運動を、日本が弾圧した事件です。 パリ講和会議で民族自決の原則が唱えられたことに触発されて、1919年3月1日、孫秉煕(そんへいき)ら33人はソウルの一料理店に集まり、独立宣言を発表して世界の世論に訴え、またパリ講和会議に誓願しました。彼らは自首して日本官憲に逮捕されましたが、数千の学生らはパゴダ公園に集まって独立宣言を読み上げ、「朝鮮独立万歳」を叫びました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/05/24 16:55
クラクフの「聖マリア大聖堂」の祭壇
クラクフの「聖マリア大聖堂」の祭壇 ポーランド南部に位置する古都クラクフ(2013年10月7日のブログ・クラクフ参照)は、1320年から国王戴冠の場となり、1611年のワルシャワ(2016年4月18日のブログ・ワルシャワ参照)遷都まで都として栄えました。ポーランド最古の大学があり、ポーランドの政治・文化の中心をなしています。 こんなクラクフで特に知られているのが「聖マリア大聖堂」です。聖マリア大聖堂で特に美しいのが、「ヴ゛ィット・ストウオン祭壇」です。この国宝に指定されている祭壇は、15世紀に市民から寄せられた基... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/05/18 08:54
ゴーハム洞窟群
ゴーハム洞窟群 ゴーハム洞窟群は、ヨーロッパとアフリカを隔てるイベリア半島のイギリス領であるジブラルタル(2013年11月18日のブログ・ジブラルタル参照)にあります。ロック・オブ・ジブラルタルの東側に、200余りの洞窟があり、中でもゴーハム、ヴァンカード、ハイエナ、ベネットと呼ばれる4つの洞窟からは、125,000年以上前のものと見られるネアンデルタール人(2015年3月16日のブログ・ネアンデルタール人参照)の生活跡が発見されています。 彼らが意思疎通の際に使用したと思われる彫刻や彼らが食... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/05/14 06:39
アメリカ陸軍中将のジョージ=パットン
アメリカ陸軍中将のジョージ=パットン ジョージ=パットンは、二度の大戦で勇名をはせたアメリカ陸軍将軍(中将)です。数々の功績の反面、舌禍事件など不祥事も多いことでも知られています。 合衆国陸軍設立当初から伝統ある軍人(パットン家)一家の息子として、1885年に生まれました。祖父は南北戦争で南軍で戦ったと言うことで、パットンは子どもの頃から英雄願望が強かったと言われています。 ウェストポイント陸軍士官学校経て、ストックホルム・オリンピック(1912)に近代五種の選手として参加しました。その後、陸軍騎... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/05/07 16:46
シャガール
シャガール シャガールは、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家です。 ロシアの寒村ヴィテブスクのユダヤ人ゲットー(特別居住区域)で生まれました。シャガール自身もユダヤ系(東欧系ユダヤ人)だそうです。1910年にパリに出て以来、おもにフランスで活躍しました。フォーヴィズム(野獣派)、キュービズム(立体派)の影響を受けましたが、ロシアの暗い風土と民族的気質を反映して、超自然的史上をたたえた独自の内面的な夢と幻想の世界を描き続けました。妻への愛を描くとともに、旧約聖書を題材にし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/04/28 09:13
ルター聖書
ルター聖書 ルター聖書は、マルティン=ルターによるヘブライ語および古典ギリシア語からの旧約聖書と新約聖書のドイツ語訳です。 ヴィッテンベルク大学神学教授のルターは1517年秋、「九十五カ条の論題」で贖宥状に反対し、聖書主義を主張し、教皇権の権威を否定し、宗教改革(2014年9月27日のブログ・ルターの宗教改革参照)をおこしました。今年は宗教改革開始500年の節目の年です。 ローマ教皇から破門されたルターは、皇帝派の諸侯によって神聖ローマ帝国(ドイツ)から追放されました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/04/20 11:00
チェーホフ
チェーホフ チェーホフはロマノフ朝(1613〜1917)j末期の、19〜20世紀初めのロシアの作家です。短編小説の名手、近代劇の確立者と言われています。 19世紀末の出口のないロシア社会のさまざまな暗い面をリアルに描き、同時につねに、温かな目で未来を見つめようとしました。短編に「かわいい女」、戯曲に「かもめ」(1896)、「三人姉妹」(1901)、「桜の園」(1903)などがあります。          チェーホフと「桜の園」の一場面 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/04/14 10:39
ニュルンベルク(国際軍事)裁判
ニュルンベルク(国際軍事)裁判 ニュルンベルク裁判は第二次世界大戦におけるドイツの重大戦争犯罪人を裁くため、1945年8月8日のロンドン協定および付属の国際軍事裁判協定に基づいて、45年11月20日から46年10月1日までドイツのバイエルン州北部の都市ニュルンベルクで開廷された米英仏ソ四カ国による国際軍事裁判です。 従来の戦争法規違反を犯したという意味での狭義の戦争犯罪に留まらず、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を含む広義の戦争犯罪規範が、侵略戦争の計画準備遂行やホロコースト犯罪に適応され、22名の被告... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/04/08 20:30
マラソンの起源
マラソンの起源 前450年9月、アテネの名将ミルティアデスはマラトンの平原に上陸したアケメネス朝ペルシアの大軍を撃退しました(マラトンの戦い)。勝利という知らせをアテネに伝えるためにフィディピデスという兵士が伝令に選ばれました。彼はマラトンから約40km離れたアテネまで駆け抜けて、アテネの郊外で「勝った!」と告げた後に力尽きて、息を引き取ったと言われています。ヘロドトスの「歴史」によるとされていますが、これが史実かどうかは諸説があります。  マラソン ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/03/12 08:49
ミッテラン
ミッテラン ミッテランはフランスの政治家・大統領(在任1981〜95)です。 第二次世界大戦中に対独レジスタンス運動に参加し、地下運動を始め、ロンドンに逃亡しました。1944年にはド=ゴールの臨時政府に参加しました。 1946年、国民議会議員となり、植民相、国防相、法相などを歴任し、第四共和政期の10年あまりを閣僚として活躍しました、1971年からは社会党第一書記に選出されました。1981年にはジスカール=デスタンを破り、第21代大統領に就任しました。 ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/03/06 20:52
アムステルダム
アムステルダム オランダ・ホラント州のアムステルダムは商業と観光の盛んなオランダ最大の都市です。地名は「アムステル川のダム」の意味だそうです。憲法で規定されたオランダの首都ですが、国会、中央官庁、王宮、各国の大使館などは、デン・ハーグにあります。 元々は小漁村でしたが、13世紀にアムステル川の河口にダムを築き、街が開けました。大航海時代にアントウェルペン(アントワープ)が世界貿易の中心となって以来、仲介貿易によって急速に発展しました。オランダ独立戦争(1568〜1609)によるアントウェルペ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/02/24 11:02

続きを見る

トップへ

月別リンク

teijuの「切手で見る世界の歴史」/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる